ワンマン運転化が話題となる、京浜東北線の国鉄時代の103系
40年ほど前、ATC化間近な頃に南浦和・大宮方のクモハ103形が
先頭に立つ最後の頃の画です。
既に横浜・大船方は、ATC準備の高運転台クハが先頭に立ち
両端高運の10両固定編成(浦和配属)も多くなっていた時期です。
後年多くの路線に転配されましたが、元々下十条電車区構内の検修線の関係で
10両固定が当初組めなかった、いわば京浜東北線向けに誕生したのがクモハ103形でした。
品川駅に停車中の磯子行き。
南浦和で折り返す。運転台下の通風口が塞がれていない、いわば原形の表情。
少数ながら冷房改造車も存在。鶴見にて大宮行き。
新子安を発車する、大船行き。
1981(昭和56)年のATC化によって7+3分割編成を6+4に組み替え
低運のクモハ・クハは全て中間に封じ込められました。JR移行後、同線の
103系末期の頃まで、少数健在ではなかったかと記憶します。
40年ほど前、ATC化間近な頃に南浦和・大宮方のクモハ103形が
先頭に立つ最後の頃の画です。
既に横浜・大船方は、ATC準備の高運転台クハが先頭に立ち
両端高運の10両固定編成(浦和配属)も多くなっていた時期です。
後年多くの路線に転配されましたが、元々下十条電車区構内の検修線の関係で
10両固定が当初組めなかった、いわば京浜東北線向けに誕生したのがクモハ103形でした。
品川駅に停車中の磯子行き。
南浦和で折り返す。運転台下の通風口が塞がれていない、いわば原形の表情。
少数ながら冷房改造車も存在。鶴見にて大宮行き。
新子安を発車する、大船行き。
1981(昭和56)年のATC化によって7+3分割編成を6+4に組み替え
低運のクモハ・クハは全て中間に封じ込められました。JR移行後、同線の
103系末期の頃まで、少数健在ではなかったかと記憶します。
京急、ではなく「京浜急行の1000形」と言えば
いまでも”初代”のことを指すのかも知れません。今でも京急の代名詞として
語られることも多いように感じます。
その初代1000形(旧1000形)が営業運転から引退したのは、ちょうど10年前の
6月28日でした。試作車として製作された、旧800形から数えると52年の歴史を
閉じたことになります(実際には牽引車として、2両1編成が翌年まで車籍を有していた)。
(※通行可能時の構内踏切より撮影)
前日の6月27日には、金沢文庫~京急久里浜間で「さよなら運転」が行われたそうですが
実際の営業運行は、翌28日の大師線が最後でした
6月に入ってから、本線の普通列車も残っていましたが
大師線ではお別れのヘッドマークを掲げつつ、静かに往復する姿がありました。
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