特急形気動車
白煙と轟音を奏でつつ、苗穂運転所を出庫
札幌駅へ回送され、特急「オホーツク3号」となるキハ183系です。
ちょうど7年前2013(平成25)年のきょう、この光景を眺めていました。
スラントノーズのキハ183-215、そしてキロハ182形・・・と続きます。
最後部(回送時)は白坊主ことキハ183-104でした。
検査からあまり経過していなかったのでしょうか、比較的綺麗な姿でした。
高知県西部、現在は土佐くろしお鉄道中村線となった
国鉄(→JR四国)中村線(窪川~中村)が全通したのは
1970(昭和45)年10月1日。経営体が2回変わりましたが、全通から半世紀を迎えました。
実質は土讃線(旧:土讃本線)の延長区間、線名が別だったこともあったか
国鉄再建法、第3次対象特定地方交通線の対象路線のひとつに
数えられることとなりました。
国鉄(→JR四国)中村線(窪川~中村)が全通したのは
1970(昭和45)年10月1日。経営体が2回変わりましたが、全通から半世紀を迎えました。
実質は土讃線(旧:土讃本線)の延長区間、線名が別だったこともあったか
国鉄再建法、第3次対象特定地方交通線の対象路線のひとつに
数えられることとなりました。
以前のブログでも載せたものですが、全通から5年後の1975(昭和50)年夏
小学生の頃四国帰省の折、高知へ遊びに行った際に終着・中村駅で撮れた1枚です。
当時のクイーン、キハ181系特急「南風」に
白地ヘッドマーク当時のキハ28・58系急行「あしずり」、そしてDE10を挟んで
キハ26or55形と、いわば「歴代」四国の優等車両が一堂に会した光景でした。
現在は中村から、土佐くろしお鉄道宿毛線として
宿毛まで鉄路が伸び久しくなりましたが、元々の計画(大正時代の鉄道敷設法による)
であった、予讃線・宇和島と繋がることは叶いませんでした。
白地ヘッドマーク当時のキハ28・58系急行「あしずり」、そしてDE10を挟んで
キハ26or55形と、いわば「歴代」四国の優等車両が一堂に会した光景でした。
現在は中村から、土佐くろしお鉄道宿毛線として
宿毛まで鉄路が伸び久しくなりましたが、元々の計画(大正時代の鉄道敷設法による)
であった、予讃線・宇和島と繋がることは叶いませんでした。
いつの日か現行の新鋭振り子特急で、半世紀近くぶり?にこの地を訪ね
併せて鉄道未完のルートを辿る日を夢見たいものです。
併せて鉄道未完のルートを辿る日を夢見たいものです。
1972(昭和47)年3月のダイヤ改正で、播但線経由の初の特急列車として設定された
「はまかぜ」。キハ181系時代が長くその印象も強いと感じますが、設定から10年間は
キハ80系での運行でした。
「はまかぜ」。キハ181系時代が長くその印象も強いと感じますが、設定から10年間は
キハ80系での運行でした。
大阪にて
同年10月、京都発では初の山陰本線特急として設定された「あさしお」。
こちらも最初の10年間が80系気動車での運用でした。
こちらも最初の10年間が80系気動車での運用でした。
京都にて 以上1978(昭和53)年3月
全国的に電化が進んだ時期、電車化で追われた気動車特急が
新天地での、特急ネットワークを作った頃。日本海縦貫線の電化完了で
「白鳥」「いなほ」などで運用されてきた車両の転用で設定された列車だそうです。
「はまかぜ」共々、最初の2年ほどはキシ80も連結されていたそうで、一部例外を除けば
特急に食堂車が常識だった時代、いまから思えば隔世の感があります。
「はまかぜ」共々、最初の2年ほどはキシ80も連結されていたそうで、一部例外を除けば
特急に食堂車が常識だった時代、いまから思えば隔世の感があります。
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