東武鉄道
8000系を除く東武東上線の最古参、9000系電車<9101F・試作編成>が
最終?の全検を終えて川越工場を出場、試運転を行ったとのこと。
川越工場は閉鎖、らしいですね。これに絡んだことか、同系の9050形<9152F>が
本線で試運転を行うなど、話題も多いようで・・・。
以前のブログにも載せた画像ですが、39年前の1981(昭和56)年秋
東武初のステンレス車両として、東上線にやってきた9101Fが
森林公園~鶴瀬間で試運転を行なっていた画です。
ホームで電車を待つ人は、物珍し気に眺めている?
川越にて
8000系などもそうでしたが、未だ前面に車番は無く
側面腰部には、ナンバープレートがありました。
私的なことですが、この頃東急東横線沿線から東武東上線沿線へ通っていました。
この試作編成が来ることはありませんでしたが、30数年後に
9000系が地下鉄を経て、特急表示で横浜市内を走るとは想像もしなかった時代。
最終?の全検を終えて川越工場を出場、試運転を行ったとのこと。
川越工場は閉鎖、らしいですね。これに絡んだことか、同系の9050形<9152F>が
本線で試運転を行うなど、話題も多いようで・・・。
以前のブログにも載せた画像ですが、39年前の1981(昭和56)年秋
東武初のステンレス車両として、東上線にやってきた9101Fが
森林公園~鶴瀬間で試運転を行なっていた画です。
ホームで電車を待つ人は、物珍し気に眺めている?
川越にて
8000系などもそうでしたが、未だ前面に車番は無く
側面腰部には、ナンバープレートがありました。
私的なことですが、この頃東急東横線沿線から東武東上線沿線へ通っていました。
この試作編成が来ることはありませんでしたが、30数年後に
9000系が地下鉄を経て、特急表示で横浜市内を走るとは想像もしなかった時代。
偶々検索をしていたら、昨日7月10日は
東武東上線・小川町~寄居間が開通して95年になるそうです(1925<大正14>年)。
これにより、池袋~寄居間75kmが全通したことになります。
既に昭和50年代には、休日の秩父鉄道直通特急など
一部列車を除き小川町で系統分割されていました(6連迄しか入線できないため)
寄居駅にて、小川町~寄居区間運転の7300系電車。
1983(昭和58)年6月
現在は8000系電車ワンマン4連が、同区間を走る。
画像の81107Fは、現在はツートンの旧標準塗装に復刻されています。
2014(平成26)年8月
寄居駅名標
2014(平成26)年8月
昭和50年代、数少ないながらも運行されていた
寄居~池袋間の直通列車
8000系急行(寄居発池袋行き)
7300系普通列車(同)
下板橋 1981(昭和56)年7月
東武東上線・小川町~寄居間が開通して95年になるそうです(1925<大正14>年)。
これにより、池袋~寄居間75kmが全通したことになります。
既に昭和50年代には、休日の秩父鉄道直通特急など
一部列車を除き小川町で系統分割されていました(6連迄しか入線できないため)
寄居駅にて、小川町~寄居区間運転の7300系電車。
1983(昭和58)年6月
現在は8000系電車ワンマン4連が、同区間を走る。
画像の81107Fは、現在はツートンの旧標準塗装に復刻されています。
2014(平成26)年8月
寄居駅名標
2014(平成26)年8月
昭和50年代、数少ないながらも運行されていた
寄居~池袋間の直通列車
8000系急行(寄居発池袋行き)
7300系普通列車(同)
下板橋 1981(昭和56)年7月
東上線は、周知の方も多いと思いますが線名が表すように
本来は東京と上州(上野国)・渋川を繋ぐ路線として計画されたものでした。
更には上越国境を越え、長岡までの壮大な構想もあったと聞きます。
残念ながら、寄居以北は国鉄八高線との計画と重なることとなり
最終的には寄居迄で全通となりました。国策も絡んでいたのでしょう。
もし、東上線が高崎や渋川まで繋がっていたとしたら
高崎線との競合路線となり、もう1本の東京都内~高崎間の幹線として観光・ビジネスに対応した
各種列車が走ることとなったかも知れません。現代では時間的には、新幹線に敵いませんが・・・。
本来は東京と上州(上野国)・渋川を繋ぐ路線として計画されたものでした。
更には上越国境を越え、長岡までの壮大な構想もあったと聞きます。
残念ながら、寄居以北は国鉄八高線との計画と重なることとなり
最終的には寄居迄で全通となりました。国策も絡んでいたのでしょう。
もし、東上線が高崎や渋川まで繋がっていたとしたら
高崎線との競合路線となり、もう1本の東京都内~高崎間の幹線として観光・ビジネスに対応した
各種列車が走ることとなったかも知れません。現代では時間的には、新幹線に敵いませんが・・・。
7月3
日付シリーズにて、東武7300系電車です。
終戦後の混乱期に、運輸省よりけ車両不足の私鉄向けに割り当てられた
国鉄モハ63形で、東武鉄道には1947(昭和22)年より40両が導入され
後に同じく割り当てを受けつつも、運用上の制約を受けて持て余していた
名鉄からも14両購入しています。
当時は6300系を名乗ったものの、桜木町事件以降国鉄に倣って
7300系に改められ、昭和30年代に7800系と同様の車体に更新され
高度成長期の東武の立役者の一員となりました。
最後の更新が終了したのは、1964(昭和39)年。既に8000系もデビューしていた頃です。
画像は、10000系電車が登場した1984(昭和59)年迄運用された
東上線の7300系。前2両の7800系と組んだ6両編成の急行です。
足回りや、グローブ型ベンチレーターは旧車体から流用されたものです。
池袋 1982(昭和57)年
終戦後の混乱期に、運輸省よりけ車両不足の私鉄向けに割り当てられた
国鉄モハ63形で、東武鉄道には1947(昭和22)年より40両が導入され
後に同じく割り当てを受けつつも、運用上の制約を受けて持て余していた
名鉄からも14両購入しています。
当時は6300系を名乗ったものの、桜木町事件以降国鉄に倣って
7300系に改められ、昭和30年代に7800系と同様の車体に更新され
高度成長期の東武の立役者の一員となりました。
最後の更新が終了したのは、1964(昭和39)年。既に8000系もデビューしていた頃です。
画像は、10000系電車が登場した1984(昭和59)年迄運用された
東上線の7300系。前2両の7800系と組んだ6両編成の急行です。
足回りや、グローブ型ベンチレーターは旧車体から流用されたものです。
池袋 1982(昭和57)年
プロフィール
Sin
最新記事
アクセスカウンター
- 今日:
- 昨日:
- 累計:
カテゴリー
アーカイブ
月別アーカイブ
記事検索
アクセスカウンター
- 今日:
- 昨日:
- 累計:
QRコード