Silence Express

拙い画像ばかりですが、無断転載禁止!! ご訪問有難うございます。 1978年以降、何度かのブランクはありますが 撮り溜めてきた主に鉄道画像をアップしていきます。 インスタグラム @sinnovator1011 (下記リンク有)も併せ訪問頂ければ幸いに存じます。 旧ブログ(Yahoo!より移転)http://moonexpress.blog.jp/ 旧ブログの画像・記事を再掲・別使用することがあります。

一般形気動車

高崎にて キハ36形&115系 (1981年7月)

昨日の「日付ネタ」にしようと思い、車番を見ると<36 48>。
キハ35形のトイレなし仕様、キハ36形です。

1981(昭和56)年7月、高崎駅にて
初期形大型前照灯の115系と並んで。キハ36も原形ライトですね。
EPSON140 - コピー

当時高崎のキハ35系列は、八高線だけでなく足尾線の運用があったとのこと。
画像のキハ36 48は元々は千葉の配置、1972(昭和47)年に高崎へ
移動してきたそうです。

キハ22交換 (1984年)

もう1つ「日付ネタ」にて。

1984(昭和59)年冬、根室本線狩勝峠の信号場にて(どの信号所か失念)。
乗車した釧路行き(後の最長距離普通列車2429D)キハ22と、滝川方面への
キハ22が出会ったところ。

kiha220002 - コピー - コピー

左沢駅と最上川・最上橋 (2011年2月)

大雨で、山形県最上川が氾濫しています。人的被害はいまのところ
無いようですが、ご無事を祈ると共にお見舞いを申し上げます。

ニュースで知りライヴカメラも見ましたが、左沢線終点の
大江町左沢でも浸水が発生・・・。

9年前の2011(平成23)年2月、山形へ行った折
夕方の短い時間でしたが、左沢線を往復しました。

左沢駅にて キハ101形
2011-2-1920山形仙台 109

2011-2-13 058

2011-2-13 082

短い時間の滞在で申し訳なかったのですが、駅から最上川と1940(昭和15)年にかけられた
最上橋を見に行きました。コンクリートアーチの美しい橋です。
橋背後の築堤を左沢線が走ります。列車が走っているところを撮りたかったです。
2011-2-13 066

帰路、車窓から最上橋と左沢の街並
2011-2-13 089

穏やかな空気の中、静かに流れる川と橋の佇まいが印象的でした。
聞き慣れ使い慣れてしまった表現ですが、自然の猛威の恐ろしさを
改めて感じざるを得ません。
左沢線に被害は無いようで、いまは通常運行のとのことです。

<”宗谷急行色” 復刻決定> キハ400形「サロベツ」(1993年2月)

昨年、JR北海道が記念入場券の企画として実施した
「北の復刻40リクエスト」の結果が発表となり
6種あった装いから、1988(昭和63)年に14系客車編成から置換えられ
2000(平成12)年に特急格上げとなる間、札幌~稚内で運行された
「宗谷急行色」(キハ40・48改キハ400・480形)が最多で選ばれました。
https://www.jrhokkaido.co.jp/kiha40/index.html

大変な状況の中、企画の行方が気になっていましたが
無事に決定で良かったです。1種類1両のみ、で少し寂しくはありますが
無理を言ってはいけませんね。
今秋以降、旭川地区運用のキハ40に施されるとのことです。
今年は無理だと思いますが、来年には一度訪ねてみたいと思うところです。

1993年、上り急行「サロベツ」(旧「天北」→「宗谷4号」)に乗車した際の
キハ400形です。当時は「宗谷」「サロベツ」そして夜行「利尻」に
各々大形ヘッドマークを掲げ、札幌と最北端の地を結びました。
img579 - コピー
                                  稚内 1993(平成5)年2月

高性能エンジンへパワーアップされ、スピードアップを実現しましたが
キハ183と同じシートが、窓割と合わないのがちょっと苦しかったですね(苦笑

可能であれば、このロゴも復活出来れば嬉しいです。
img578 - コピー
デビュー間もなく、天北線廃止で短命に終わった「SOHYA TENPOKU」でも良いかも。



 (原案イラストお借りしました)
large-5de0b46964cb9
                                                          

「宗谷急行」は実際に存在した装いでもあり、”復刻”には一番合っていたと思います。
特急色はちょっと・・・「キハ183風」は、同系の「オホーツク」「大雪」編成で
復刻が叶えば嬉しいですが・・・。



キハ66・67形 (1982年3月)

国鉄時代の小倉駅にて、キハ28・58形と組んで停車中のキハ66・67形です。

3-26 004 - コピー - コピー
                                 1982(昭和57)年3月
当時は、北九州地区で運用されていた同形。下関まで顔を出していて、初めて乗ったのは
関門トンネル越えでした。
ステップ板を見ると「(キハ)66 5」の表記。現在も「シーサイドライナー」色となって
長崎地区で健在のようですが、既に置換の始まっているハイブリッド気動車YC1系に
仲間と共に後を託す日も近いのでしょう。

新幹線のフィーダーサービスや急行運用も考慮(日田彦山線で運用)した、汎用気動車として
冷房付きで国鉄では珍しい、転換クロスを採用の意欲的設計ながらも
当時の国鉄の事情や入線制限もあり、残念ながら後が続かず。
ただ車体前面デザインはキハ40系列などが踏襲して、”全国区”の表情に。
アコモーデーションは、後年の117系電車や115系3000番台へ継承され
民営化後の東日本を除く、JR各社の大都市圏近郊形電車や気動車へ繋がって
いったものと思われます。













プロフィール

Sin

ギャラリー
  • 高松駅にて キハ58「あしずり」とキハ45 (1978年12月)
  • 根府川を渡る EF58 111 (1983年)
  • 山陰本線のDD51より (1982年3月)
  • 山陰本線のDD51より (1982年3月)
  • 急行「うわじま」とアンパンマントレイン (1978年3月/2021年12月)
  • 急行「うわじま」とアンパンマントレイン (1978年3月/2021年12月)
  • 急行「うわじま」とアンパンマントレイン (1978年3月/2021年12月)
  • 急行「うわじま」とアンパンマントレイン (1978年3月/2021年12月)
  • 急行「うわじま」ヘッドマーク<いすみ鉄道キハ28形> (2022年3月)
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

記事検索
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード
メッセージ

名前
メール
本文
  • ライブドアブログ