急行形電車
京阪神のスピードライナーから、いまでは北陸南端から播磨の西端まで
2府3県を広くカバーし、かけがえのない足となった
「新快速」がきょうで運行開始50年を迎えました。
新快速の歴史や歴代車両は、もう多く紹介されているので省きますが
私にとって一番印象深いのは、1972(昭和47)年3月15日のダイヤ改正から
117系が登場する1980(昭和55)年まで運用された、153系電車です。
山陽新幹線岡山開業に伴う、急行「鷲羽」などの大削減で浮いた153系の
装いを大胆に装いを改め、「ブルーライナー」として再デビューさせたことは
快挙でした。東海道・山陽で昼夜酷使されたあろう153系故、かなりガタが来ていたことは
否めなかったとは思いますが・・・。
高運転台クハ153形500番台と、不足分としてクハ165形も充当されていました。
急行時代そのままに、うまく生かした「新快速」ヘッドマークでした。
大阪 1975(昭和50)年7月
低運転台クハ153 153系末期の頃ですが、ヘッドマークの剥げが・・・(汗
大阪 1979(昭和54)年8月
須磨海岸を往く
当時は電車線を走行し、特急列車との”競争”が話題になったことは有名な話です。
須磨~塩屋 1979(昭和54)年8月
当時京阪沿線に住んでいて、あまり縁のなかった私も「カッコいい」存在に映った
車両(列車)のひとつです。
後継の117系は戦前戦後の「急電色」を意識したものになりましたが、私的にはこのブルーを
継承して欲しかった、と当時思ったものです。
2府3県を広くカバーし、かけがえのない足となった
「新快速」がきょうで運行開始50年を迎えました。
新快速の歴史や歴代車両は、もう多く紹介されているので省きますが
私にとって一番印象深いのは、1972(昭和47)年3月15日のダイヤ改正から
117系が登場する1980(昭和55)年まで運用された、153系電車です。
山陽新幹線岡山開業に伴う、急行「鷲羽」などの大削減で浮いた153系の
装いを大胆に装いを改め、「ブルーライナー」として再デビューさせたことは
快挙でした。東海道・山陽で昼夜酷使されたあろう153系故、かなりガタが来ていたことは
否めなかったとは思いますが・・・。
高運転台クハ153形500番台と、不足分としてクハ165形も充当されていました。
急行時代そのままに、うまく生かした「新快速」ヘッドマークでした。
大阪 1975(昭和50)年7月
低運転台クハ153 153系末期の頃ですが、ヘッドマークの剥げが・・・(汗
大阪 1979(昭和54)年8月
須磨海岸を往く
当時は電車線を走行し、特急列車との”競争”が話題になったことは有名な話です。
須磨~塩屋 1979(昭和54)年8月
当時京阪沿線に住んでいて、あまり縁のなかった私も「カッコいい」存在に映った
車両(列車)のひとつです。
後継の117系は戦前戦後の「急電色」を意識したものになりましたが、私的にはこのブルーを
継承して欲しかった、と当時思ったものです。
9月22
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