国鉄
「大目玉」クハ111形を先頭にした、111・113系電車と
185系特急「踊り子」の出会い。1982(昭和57)年12月、大船にて。
185系特急「踊り子」の出会い。1982(昭和57)年12月、大船にて。

この111・113系は327M浜松行き、東京口の普通列車で
最後まで1往復運用されていた、静岡運転所の80系の引継ぎ
唯一のグリーン車非連結、且つ非冷房編成でした。
当時の「大目玉」のクハ111形は、やはり目を引きます。
中央快速線と言えば、101系電車或いは201系電車の印象がどうしても
強いように感じますが、1973(昭和48)年~1983(昭和58)年の10年間
103系電車も導入されて、快速線の冷房化推進に一役買いました。
快速線103系のバリエーションは色々あったのですが、最初に導入された
低運転台2灯(ブタ鼻)クハ103の編成です。
特別快速の大きなヘッドマークで、颯爽と走っていました。
四ツ谷~新宿(千駄ヶ谷)1982(昭和57)年
いまも奈良線に残る、山手線出身のクハ103形と同期の車両です。
中央快速の103系は、201系の導入進む中
38年前のちょうどいまの時期に撤退しました。101系よりも早かったです。
特に「サヨナラ」もなく、静かな幕引きだったと記憶します。
多くがお隣の緩行線に移り、引き続き活躍を続けていましたが
それも姿を消して久しくなります。
強いように感じますが、1973(昭和48)年~1983(昭和58)年の10年間
103系電車も導入されて、快速線の冷房化推進に一役買いました。
快速線103系のバリエーションは色々あったのですが、最初に導入された
低運転台2灯(ブタ鼻)クハ103の編成です。
特別快速の大きなヘッドマークで、颯爽と走っていました。
四ツ谷~新宿(千駄ヶ谷)1982(昭和57)年
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それも姿を消して久しくなります。
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