Silence Express

拙い画像ばかりですが、無断転載禁止!! ご訪問有難うございます。 1978年以降、何度かのブランクはありますが 撮り溜めてきた主に鉄道画像をアップしていきます。 インスタグラム @sinnovator1011 (下記リンク有)も併せ訪問頂ければ幸いに存じます。 旧ブログ(Yahoo!より移転)http://moonexpress.blog.jp/ 旧ブログの画像・記事を再掲・別使用することがあります。

通勤形電車

山手線と電車急行 (1978年6月)

きょうは「昭和の日」。
64年続いた時代を、一括りにするわけにはいきませんし
私の知っている「昭和」は最後の約20年余り。

いまから振り返れば、昭和も末期に差し掛かる頃の上野駅の一コマ。
165系(169系?)電車急行と山手線103系電車です。
急行の列車名は失念、高架ホームなので恐らく高崎線~上信越方面の列車と思われます。
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                                    1978(昭和53)年6月

当時最盛期に達していた、同駅発着の電車特急や夜行列車から見れば
脇役的存在ではあったかと思いますが、それぞれの役割では重要な存在だった両者でした。

103系1000番台 常磐緩行線時代 (1980年頃)

昨日記事にした、105系電車の種車である103系1000番台。
常磐緩行~千代田線で運用されていた頃。
1000-1
                                 松戸 1980(昭和55)年頃

通勤形電車では、地下鉄乗入車のみに許された?JNRマークが
誇らしげに見えます。小田急線の駅である「代々木上原」の行先表示が
新鮮に感じました。
203系電車導入後は105系に改造された車両と、エメラルドグリーン一色塗装になり
常磐快速線で転じた車両に分かれることになったのは、周知の通りです。
快速線時代の姿は撮り逃してしまいました。



和歌山の105系電車 (1986年1月)

先のダイヤ改正で、紀勢本線(きのくに線)に残っていた
日根野の105系電車が引退したとのこと。

2年前に和歌山線・桜井線撤退時点で、全て引退したものと思っていましたが
代走運用?で残っていたのですね。

JR西日本移行前、国鉄末期に紀勢本線・和歌山~和歌山市で乗車した
105系電車です。
103系1000番台の名残である、貫通形クハに再会しました。
まさか転用で、幌が付くとは思わなかったものです。
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クモハは、オリジナル105系顔。
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                             和歌山 1986(昭和61)年1月






埼京線新宿延伸・・・山手貨物線を”爆走”する103系 (1986年3月)

35年前の1986(昭和61)年3月3日は、前年秋に開業した通称埼京線が
池袋から山手貨物線を活用して、新宿まで延伸された日でした。

尚、この日には「国鉄最後の新線開業」
京葉線西船橋~千葉港(千葉みなと)間の開業と
予讃本線(予讃線)の内子経由の新ルートが開業して、全ての特急・急行列車が移行しています。


新宿駅貨物ヤード跡に造られた、新しい1・2番線ホームに
開業ヘッドマークを付けた103系電車が停車中。
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以下、山手線新大久保駅ホームより行き交う埼京線電車を

103系電車の「新 宿」表示が、新鮮に感じられました。
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新宿方で離合する103系。
貨物列車の大半が武蔵野線に移って以来、閑古鳥状態だったと思われる?
貨物線の線路に、突然の如く目に馴染んだウグイス色の電車が
頻繁に行き交うようになりました。
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唸りを上げるMT55モーター音と共に、加速していく103系に
山手線を待つ人々も、どことなく視線を向けているように感じられます。
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”元同僚”の山手線103系電車と。
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ここを走った103系は、5年後には全て205系に置きかえられ
その後埼京線列車は更に恵比寿まで延伸、更に大崎を経てりんかい線へ
そして、湘南新宿ラインの設定にも繋がって行くこととなります。

もっとも、埼京線の遅延が東海道線や横須賀線、更には相鉄線まで
響くような(逆の場合も)ことになるとは、当時は思いもよりませんでしたが・・・









中央線「特別快速」103系電車 (1982年)

中央快速線と言えば、101系電車或いは201系電車の印象がどうしても
強いように感じますが、1973(昭和48)年~1983(昭和58)年の10年間
103系電車も導入されて、快速線の冷房化推進に一役買いました。

快速線103系のバリエーションは色々あったのですが、最初に導入された
低運転台2灯(ブタ鼻)クハ103の編成です。
特別快速の大きなヘッドマークで、颯爽と走っていました。

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                        四ツ谷~新宿(千駄ヶ谷)1982(昭和57)年

いまも奈良線に残る、山手線出身のクハ103形と同期の車両です。

中央快速の103系は、201系の導入進む中
38年前のちょうどいまの時期に撤退しました。101系よりも早かったです。
特に「サヨナラ」もなく、静かな幕引きだったと記憶します。
多くがお隣の緩行線に移り、引き続き活躍を続けていましたが
それも姿を消して久しくなります。


プロフィール

Sin

ギャラリー
  • 高松駅にて キハ58「あしずり」とキハ45 (1978年12月)
  • 根府川を渡る EF58 111 (1983年)
  • 山陰本線のDD51より (1982年3月)
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  • 急行「うわじま」とアンパンマントレイン (1978年3月/2021年12月)
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  • 急行「うわじま」ヘッドマーク<いすみ鉄道キハ28形> (2022年3月)
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