キハ53
5月3
1994(平成6)年晩秋、北海道訪問の折(583系「はくつる」乗り納めを兼ねて)
札幌から石狩当別まで乗車した、キハ56 148号。
唯一近郊仕様に改造、更にJR北海道色を施したキハ56形。キハ141・143形が
主体だった、札沼(学園都市)線の札幌近郊区間で異彩を放っていたでしょう。
札幌発車前、キハ183系特急「おおぞら」と並ぶ。
石狩当別に到着。ここで新十津川行きのキハ53に乗り換えました。
当時、橋上駅舎が完成したばかりだったようです。
キハ56 40にキハ56 20の運転台を移設、両運化されたキハ53 504。
この頃深名線の代名詞に思えた500番台、札沼線でも運用されているとは知りませんでした。
札幌から新十津川迄、”元急行形”での札沼線初乗りとなりました。
おまけ画像
途中駅の写真は撮っていなかったのに、当時新十津川ひとつ手前の
中徳富駅の駅名標だけ撮っていました。「あと一駅」と思ってカメラに収めたのか・・・。
同駅は2006(平成18)年に廃止されています。

以上 1994(平成6)年11月
(いずれも低画質にてご容赦ください)
札幌から石狩当別まで乗車した、キハ56 148号。
唯一近郊仕様に改造、更にJR北海道色を施したキハ56形。キハ141・143形が
主体だった、札沼(学園都市)線の札幌近郊区間で異彩を放っていたでしょう。
札幌発車前、キハ183系特急「おおぞら」と並ぶ。
石狩当別に到着。ここで新十津川行きのキハ53に乗り換えました。
当時、橋上駅舎が完成したばかりだったようです。
キハ56 40にキハ56 20の運転台を移設、両運化されたキハ53 504。
この頃深名線の代名詞に思えた500番台、札沼線でも運用されているとは知りませんでした。
札幌から新十津川迄、”元急行形”での札沼線初乗りとなりました。
おまけ画像
途中駅の写真は撮っていなかったのに、当時新十津川ひとつ手前の
中徳富駅の駅名標だけ撮っていました。「あと一駅」と思ってカメラに収めたのか・・・。
同駅は2006(平成18)年に廃止されています。

以上 1994(平成6)年11月
以前にも少し記事にしましたが、1994(平成6)年11月に訪問した際の
札沼線(学園都市線)新十津川駅にて。
発車する、キハ53 504。
石狩沼田への鉄路が廃止されてから、当時で既に22年経過していました。
待合室内の”貼り紙”時刻表。時刻は2016年ダイヤ改正に至るまで
大きな変化はなかったようです。(”始発”が札幌直通でしたが)。
1994年晩秋。新十津川駅にて。 (2019年11月22日記事)
札沼線(学園都市線)新十津川駅にて。
発車する、キハ53 504。
石狩沼田への鉄路が廃止されてから、当時で既に22年経過していました。
待合室内の”貼り紙”時刻表。時刻は2016年ダイヤ改正に至るまで
大きな変化はなかったようです。(”始発”が札幌直通でしたが)。
1994年晩秋。新十津川駅にて。 (2019年11月22日記事)
11月22
来年の5月6日を以って廃止となる、札沼(学園都市)線
北海道医療大学~新十津川間。
25年前の1994(平成6)年11月に、終着となっていた新十津川駅まで
乗りました。
当時、既に浦臼以北は2016(平成28)年以前同様3往復
深名線でも運用されていた、キハ56形改のキハ53形500番台が運用されていた頃。
石狩当別からの「2番列車」に乗りましたが、終着まで乗っていたのはごく僅かで
「乗りに来た」とおぼしき人が他にはいたかどうか。
既にこの頃、現在と同じ姿になっていた駅舎(左半分が取り壊された後)
地元の人らしき方々が何人か乗り込み、列車は折り返していきました。

かつては、石狩沼田までの”本線”であったはずの線路。
既にこの時廃止から22年が経過していました。

この時は、駅から廃線区間に残る雨竜川に残る橋梁を見て
そのあと嘗ての鉄路に沿って走っていた、JRバスで石狩沼田へ向かっています。
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