Silence Express

拙い画像ばかりですが、無断転載禁止!! ご訪問有難うございます。 1978年以降、何度かのブランクはありますが 撮り溜めてきた主に鉄道画像をアップしていきます。 インスタグラム @sinnovator1011 (下記リンク有)も併せ訪問頂ければ幸いに存じます。 旧ブログ(Yahoo!より移転)http://moonexpress.blog.jp/ 旧ブログの画像・記事を再掲・別使用することがあります。

中央本線

松本駅にて EF64。(1981年1月)

40年前の1981(昭和56)年1月、松本駅にて目にしたEF64形。

EF64 12号機牽引、熱田発北長野行き荷物列車5041レに
中津川~長野間で併結された客車普通列車825~2825レ。
12号機は福米間板谷峠越えを経験した、ラストナンバーのようですね。
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夜の松本駅にて、EF64 52号機牽引荷物列車(熱田発北長野行き5043レ?)。
松本止まりマニ・ワキの分割作業でしょうか。
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中央西線は、後年急行「赤倉」で走破した思い出がありますが
旧形客車でのんびりと、木曽谷の旅も味わってみたかったものです。

201系試作車試運転 (1979年)

中央快速線から、最後の201系電車が去りきょうで丸10年とのことで
早いものです。

1979(昭和54)年早々、900番台の試作編成が三鷹電車区にやってきて
同年夏の営業運転開始まで、原宿宮廷ホームで展示会も行われました。

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                                         中野にて

当時は中央線沿線にいましたが、東京駅へ写真を撮りに行く途中だったのでしょう
偶々遭遇することが出来て撮れたものです。「回送」表示になっていますが、試運転中だったかと。
この時は他には誰も、カメラを向けていそうな人はいなかったと記憶します。






             





窓全開の101系 (1978年)

10月1日ということで、一応日付に絡めて101系電車(国鉄→JR)です。

やや時期外れネタではありますが、真夏のある日
冷房を搭載しない、中央総武緩行線の101系電車がところどころ
窓を開けた状態で走っています。
2段とも上昇式の窓だったことで、全開になっている個所もあります。

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私も高校時代に東京に来て中央快速線で通学していた時、101系非冷房車に乗って
ガラガラだった時は、全開にして涼を取ると共にMT46の音を楽しんだ記憶があります。
写真は1978(昭和53)年夏、快速線と緩行線との複々線区間で
並走する101系快速電車内から、こちらも窓を全部開けて撮ってみたものでした。
40年前のことですが、念のため頭や手を出してまではしておりませんので
申し添えておきます。

数年前まで健在だった、101系譲渡の秩父鉄道1000系電車に乗った時
あの頃と同じことが出来るだろうか、と思い窓を見たら全開は出来ないように手直しされて
いました。時も流れ、当然と言えば当然といえたでしょう。

通勤電車でも窓を開けることなど、すっかり忘れていたところに
例のウイルス騒ぎで換気の必然性が生じ、真夏の時期でも申し訳程度ながらも
下降式窓が開いたままで走る必然性が求められた今年、改めてこのようなことも
思い出しておりました。

※追記 中央総武緩行線は、この年(1978年)始めて冷房改造の101系が
登場しました。が、10両編成の付属3両のみのそれも2編成のみという
状態で、翌年103系冷房編成が投入され、遅ればせながら冷房化が進みました。
冷房101系は私は一度だけ見て乗っただけで、ひと夏の運用のあと南武線へ転じて行きました。
     


中央東線のクモニ83形800番台 (1981年1月)

中央東線で運用された、スカ色のクモニ83形800番台。
「山スカ」だけではなく、長野所属の115系1000番台の先頭にも立っていた。
カラーで記録したかった編成。
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                               松本 1981(昭和56)年1月

「こだま」の面影 181系「あずさ」(1975年7月)

いずれも旧ブログでも載せた画ですが
小学生の未だ関西に居た頃、東京の親類を訪ねた際
新宿で見ることが出来た、中央東線181系電車特急「あずさ」です。

最近では「あずさ」で運用されたE257系が、東海道線東京口に転用される時代ですが
半世紀前は、東海道・山陽で頑張った旧151系が181系新製車と共に
「あずさ」を構成。ただ運行開始直後は「とき」と、後に「あさま」と共通運用を組んだので
「あずさ」独自の運用ではなかったようですが。。。


151系時代の面影を残した、帯なしのクハ181-5。
架線柱が残念ですが、仕方ない。帯なしのクハをしっかりと認識して
目にしたのは、この時が最初で最後でした。

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これも旧151系のサロ181-2。
東海道時代、旧サロ151にはいまで言うパソコン、充電スペースに相当しそうな
「ビジネスデスク」が車端に設置されていたそうですが、この頃は残っていたのだろうか。
img354 - コピー


最後部1号車は、クロハにならず直接クロ181-12から改造されて
しまった(敢えてそう表現しますが)クハ180-51でした。
「あずさ」や「あさま」であれば、クロの車体そのままで観光要素を兼ねて
活用できたのは、と勝手な考えもしますが昭和40年代は輸送力至上だったろうし
特殊な車両は、極力減らす傾向もあったのでしょう。
因みに、2号車のモハ180形は番号失念しましたが
ビュフェ合造車モハシ180からの改造の50番台、屋根のクーラー配置に名残。
img355 - コピー (3)

                           以上 新宿にて 1975(昭和50)年7月

新宿18時発、発車間際に何とか撮れたものでした(3枚目の画は既に動き出している)。
私にとっては、”8時ちょうど”ならぬ
この”(夕方)6時ちょうど” の「あずさ」が、いまでも記憶に残ります。


この頃「あさま」は189系に置きかえられ、181系運用の「あずさ」も
この後時を経ずして、置換えられたとのことです。私が東京に引っ越してきた頃には
「とき」の181系も、3往復前後に減っていました。


・・・おまけ 川崎重工業に於いて、新幹線0系と共に保存の
クハ26001に復元されたクハ181-1。一昨年和田岬線訪問の折、見に行きました。
DSC_0197 (2)

                                   2018(平成30)年10月

プロフィール

Sin

ギャラリー
  • 高松駅にて キハ58「あしずり」とキハ45 (1978年12月)
  • 根府川を渡る EF58 111 (1983年)
  • 山陰本線のDD51より (1982年3月)
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  • 急行「うわじま」とアンパンマントレイン (1978年3月/2021年12月)
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  • 急行「うわじま」ヘッドマーク<いすみ鉄道キハ28形> (2022年3月)
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