中央本線
10月17
10月1
10月1日ということで、一応日付に絡めて101系電車(国鉄→JR)です。
やや時期外れネタではありますが、真夏のある日
冷房を搭載しない、中央総武緩行線の101系電車がところどころ
窓を開けた状態で走っています。
2段とも上昇式の窓だったことで、全開になっている個所もあります。
私も高校時代に東京に来て中央快速線で通学していた時、101系非冷房車に乗って
ガラガラだった時は、全開にして涼を取ると共にMT46の音を楽しんだ記憶があります。写真は1978(昭和53)年夏、快速線と緩行線との複々線区間で
並走する101系快速電車内から、こちらも窓を全部開けて撮ってみたものでした。
40年前のことですが、念のため頭や手を出してまではしておりませんので
申し添えておきます。
数年前まで健在だった、101系譲渡の秩父鉄道1000系電車に乗った時
あの頃と同じことが出来るだろうか、と思い窓を見たら全開は出来ないように手直しされて
いました。時も流れ、当然と言えば当然といえたでしょう。
通勤電車でも窓を開けることなど、すっかり忘れていたところに
例のウイルス騒ぎで換気の必然性が生じ、真夏の時期でも申し訳程度ながらも
下降式窓が開いたままで走る必然性が求められた今年、改めてこのようなことも
思い出しておりました。
※追記 中央総武緩行線は、この年(1978年)始めて冷房改造の101系が
登場しました。が、10両編成の付属3両のみのそれも2編成のみという
状態で、翌年103系冷房編成が投入され、遅ればせながら冷房化が進みました。
冷房101系は私は一度だけ見て乗っただけで、ひと夏の運用のあと南武線へ転じて行きました。
やや時期外れネタではありますが、真夏のある日
冷房を搭載しない、中央総武緩行線の101系電車がところどころ
窓を開けた状態で走っています。
2段とも上昇式の窓だったことで、全開になっている個所もあります。
私も高校時代に東京に来て中央快速線で通学していた時、101系非冷房車に乗って
ガラガラだった時は、全開にして涼を取ると共にMT46の音を楽しんだ記憶があります。
並走する101系快速電車内から、こちらも窓を全部開けて撮ってみたものでした。
40年前のことですが、念のため頭や手を出してまではしておりませんので
申し添えておきます。
数年前まで健在だった、101系譲渡の秩父鉄道1000系電車に乗った時
あの頃と同じことが出来るだろうか、と思い窓を見たら全開は出来ないように手直しされて
いました。時も流れ、当然と言えば当然といえたでしょう。
通勤電車でも窓を開けることなど、すっかり忘れていたところに
例のウイルス騒ぎで換気の必然性が生じ、真夏の時期でも申し訳程度ながらも
下降式窓が開いたままで走る必然性が求められた今年、改めてこのようなことも
思い出しておりました。
※追記 中央総武緩行線は、この年(1978年)始めて冷房改造の101系が
登場しました。が、10両編成の付属3両のみのそれも2編成のみという
状態で、翌年103系冷房編成が投入され、遅ればせながら冷房化が進みました。
冷房101系は私は一度だけ見て乗っただけで、ひと夏の運用のあと南武線へ転じて行きました。
中央東線で運用された、スカ色のクモニ83形800番台。
「山スカ」だけではなく、長野所属の115系1000番台の先頭にも立っていた。
カラーで記録したかった編成。
松本 1981(昭和56)年1月
「山スカ」だけではなく、長野所属の115系1000番台の先頭にも立っていた。
カラーで記録したかった編成。
松本 1981(昭和56)年1月
いずれも旧ブログでも載せた画ですが
小学生の未だ関西に居た頃、東京の親類を訪ねた際
新宿で見ることが出来た、中央東線181系電車特急「あずさ」です。
最近では「あずさ」で運用されたE257系が、東海道線東京口に転用される時代ですが
半世紀前は、東海道・山陽で頑張った旧151系が181系新製車と共に
「あずさ」を構成。ただ運行開始直後は「とき」と、後に「あさま」と共通運用を組んだので
「あずさ」独自の運用ではなかったようですが。。。
151系時代の面影を残した、帯なしのクハ181-5。
架線柱が残念ですが、仕方ない。帯なしのクハをしっかりと認識して
目にしたのは、この時が最初で最後でした。
小学生の未だ関西に居た頃、東京の親類を訪ねた際
新宿で見ることが出来た、中央東線181系電車特急「あずさ」です。
最近では「あずさ」で運用されたE257系が、東海道線東京口に転用される時代ですが
半世紀前は、東海道・山陽で頑張った旧151系が181系新製車と共に
「あずさ」を構成。ただ運行開始直後は「とき」と、後に「あさま」と共通運用を組んだので
「あずさ」独自の運用ではなかったようですが。。。
151系時代の面影を残した、帯なしのクハ181-5。
架線柱が残念ですが、仕方ない。帯なしのクハをしっかりと認識して
目にしたのは、この時が最初で最後でした。
これも旧151系のサロ181-2。
東海道時代、旧サロ151にはいまで言うパソコン、充電スペースに相当しそうな
「ビジネスデスク」が車端に設置されていたそうですが、この頃は残っていたのだろうか。
最後部1号車は、クロハにならず直接クロ181-12から改造されて
しまった(敢えてそう表現しますが)クハ180-51でした。
「あずさ」や「あさま」であれば、クロの車体そのままで観光要素を兼ねて
活用できたのは、と勝手な考えもしますが昭和40年代は輸送力至上だったろうし
特殊な車両は、極力減らす傾向もあったのでしょう。
因みに、2号車のモハ180形は番号失念しましたが
ビュフェ合造車モハシ180からの改造の50番台、屋根のクーラー配置に名残。
以上 新宿にて 1975(昭和50)年7月
新宿18時発、発車間際に何とか撮れたものでした(3枚目の画は既に動き出している)。
私にとっては、”8時ちょうど”ならぬ
この”(夕方)6時ちょうど” の「あずさ」が、いまでも記憶に残ります。
この頃「あさま」は189系に置きかえられ、181系運用の「あずさ」も
この後時を経ずして、置換えられたとのことです。私が東京に引っ越してきた頃には
「とき」の181系も、3往復前後に減っていました。
・・・おまけ 川崎重工業に於いて、新幹線0系と共に保存の
クハ26001に復元されたクハ181-1。一昨年和田岬線訪問の折、見に行きました。
2018(平成30)年10月
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