1975(昭和50)年3月、新幹線博多開業と同時に北九州に導入された
キハ66・67形、ついに6月末で運用を終えたとのことで・・・。
「50・3」ダイヤ改正の名残も、遂に姿を消すこととなり
46年に渡る活躍に終止符、お疲れ様でした。
初めて同系列を目にしたのは、当時関門トンネルを越えて下関までの
運用があった1982(昭和57)年3月のことで、これに乗って門司へ向かった記憶です。
同じく九州からの421(423)系電車と、顔を合わせました。
キハ66・67は1995年に篠栗線で、2003年には今回花道を飾った大村線でも
乗車出来たのですが、前者は旅の途上のカメラ故障で
後者はデジカメデータを誤って消去してしまい、画像を残すことが出来ませんでした。
キハ66・67形、ついに6月末で運用を終えたとのことで・・・。
「50・3」ダイヤ改正の名残も、遂に姿を消すこととなり
46年に渡る活躍に終止符、お疲れ様でした。
初めて同系列を目にしたのは、当時関門トンネルを越えて下関までの
運用があった1982(昭和57)年3月のことで、これに乗って門司へ向かった記憶です。
同じく九州からの421(423)系電車と、顔を合わせました。
キハ66・67は1995年に篠栗線で、2003年には今回花道を飾った大村線でも
乗車出来たのですが、前者は旅の途上のカメラ故障で
後者はデジカメデータを誤って消去してしまい、画像を残すことが出来ませんでした。