昨11月30日は、相鉄JRの記念すべき日でありましたが
大阪万博を控えた、半世紀前の1969(昭和44)年11月30日
京阪電鉄本線・野江~天満橋間複々線化の一環として京橋駅が高架駅として移設開業した日。
因みに阪急(大阪)梅田駅宝塚線ホームが、神戸線に続いて
現在の位置に移動した日でもあります。
当時、私は京阪沿線に住む小学校低学年でしたが
開業当日に亡父に連れられ、高架駅を見に行きました。
写真を撮った訳でも、記念乗車券の類を買ってもらった訳でもないですが
それまでの、大阪環状線の下をくぐる地上の狭い駅とは全く異なる
大きなビル(と当時は見えた)に内包されたホームは子供心にも目をみはり
現在もあると思いますが、地上改札階から4階ホームまで
直行する、長いエスカレーターが印象に残っています。
駅の外観の写真は無いのが恐縮ですが・・・
数年前の画像になりますが、引退を目前に控えた頃の
旧3000系特急列車が入線。
駅ビル(京阪モール)内に造られた、2面4線構造の広いホーム。
2400系(右)と2200系(左奥)。
以上 2013(平成25)年2月
・・・車両主体の画ですが、昭和時代の写真より 更新前の2200系電車。
日本初の5扉車、5000系電車。
大阪環状線をオーバークロス、京都方面へ向かう2000系電車。
昇圧工事に絡み、2600系に車体を譲るため消滅寸前の頃。
以上 1981(昭和56)年3月昇圧工事に絡み、2600系に車体を譲るため消滅寸前の頃。
・・・11年前の画像ですが、環状線を隔てた反対側にあった旧京橋駅跡。
大阪淀屋橋方向から来た電車は環状線のガードをくぐり、この位置にあったホームに
滑り込んできました。
同じ場所から、京都方向を望む。右側の看板は、関西ではお馴染?のレジャービル。
駅や線路跡と言われても信じ難くなっていますが、この風景もいまはまた変化が
あるのかも知れません。
嘗てこの場所を通った2200系や、2000系の車体を流用した2600系は一部が未だ現役です。
あるのかも知れません。
嘗てこの場所を通った2200系や、2000系の車体を流用した2600系は一部が未だ現役です。
以上 2008(平成20)年3月