数々の名言を残して、「生涯一捕手」野村克也氏が亡くなられました。
もうあの「ぼやき」が聞けないのは、寂しい思いもしますが
今頃は奥様と再会を喜んでおられるのかも知れません。
謹んで、お悔やみを申し上げます。

野村さんが選手や監督として在籍された5球団のうち、
南海ホークス(→ダイエー→現:ソフトバンク)・西武ライオンズ・阪神タイガースの
3球団は鉄道会社が親会社でしたね。

特急「四国」のヘッドマークをつけた、南海電鉄の1000系電車。
野村選手が入団した1954(昭和29)年に11001系として
最初の車両(貫通形)が就役。野村さんが監督兼任をされた1970年代以降
昇圧改造と冷房化され、現在の「サザン」デビューまで
南海本線の特急や急行で長く活躍しました。
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                                 難波 1983(昭和58)年3月

選手生活晩年の1979(昭和54)~1980(昭和55)年
西武ライオンズに在籍された頃、西武551系電車の「西武球場前」行き臨時急行。

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                                  所沢 1980(昭和55)年

震災復旧直後の高架線を走る、タイガースヘッドマーク(副票)をつけた
阪神8000系特急電車。
この頃は「ID」野村ヤクルト黄金期。1995年はヤクルト優勝(→日本一)
阪神は最下位(苦笑)。阪神の監督に就任されたのは、1999(平成11)年の事でした。

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                                新在家 1995(平成7)年7月