Silence Express

ご訪問有難うございます。 1978年以降、何度かのブランクはありますが 撮り溜めてきた主に鉄道画像をアップしていきます。 旧ブログ(Yahoo!より移転)http://moonexpress.blog.jp/ 旧ブログの画像・記事を再掲・別使用することがあります。

昭和60年代

東京駅にて 山手線205系 (1987年3月)

武蔵野線で活躍した205系電車の多くは、E231系500番台の投入で
山手線から転配された車両でした。

1987(昭和62)年3月、国鉄最終日の東京駅で撮った山手線205系です。
JRマークは未だ貼られていません。
この頃は殆どカメラを持つことも無く、この写真は
当時勤めていた都内の事務所のコンパクトカメラを借りて、「さよなら国鉄」の
ヘッドマークを付けた、国電の写真を撮ったついでのものでした。

写真は4番線を発車する内回り電車ですが、当然中央線ホーム重層化前ですので
現在の京浜東北線南行の6番線にあたります。
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背後には丸の内駅舎の角屋根と、当時の中央線ホームに停車中の201系快速電車
奥には国鉄本社ビルも見えています。
当時は205系投入から既に2年余り経っていましたが、多くの歴史を詰め込んできた
東京駅の風景に、新風を吹き込んだ存在であったと思います。

電化開業初日 川越線103系3000番台 (1985年9月)

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「日付ネタ」にもってきましたが、1985(昭和60)年9月
埼京線開通と同時に電化された、川越線内専用車として登場した
103系3000番台です。

仙石線で運用されていた、クハ79・モハ72形アコモデーション改造車を
新性能化した車両でした。

 武蔵高萩に入線する3000番台。先頭は電動車化されたクモハ102形。
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 高麗川にて。埼京線と共通の記念ヘッドマーク装着。
 電化当初は、川越線全線(高麗川~大宮)の運用も存在した。
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JR移行後に冷房化され、後に大宮へは行かなくなった代わりに
八高南線電化以降は、八王子まで顔を出すようになり
2005(平成17)年迄まで運用されました。

アコモ改造前からの種車から残っていたのは、台枠のみ?と思いますが
平成・21世紀まで、クハ79・モハ72からの車籍を引き継いでいた
最後の旅客営業車だったはずです。

※おまけ 電化初日に乗った際、どこかでもらった記念のシャープペン
     現役で使ってます(^^;

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埼京線開業35年 開業記念ヘッドマークと行先表示 (1985年9月)

1985(昭和60)年9月30日。東北新幹線に併設された「通勤新線」埼京線が開通
川越線の電化と併せ、きょうで35年となりました。

昨年、相鉄線直通の際の記事です↓



開業当日の朝、池袋駅にて。当時は近くに住んでおり
記念のヘッドマークのついた103系電車と、いくつか行先表示を撮っていました。
このホームは、1983(昭和58)年赤羽線10連化の際に増設
現在は、埼京線と湘南新宿ライン北行のホームになっています。

「通勤快速 川越」
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東武東上線で行くのが当たり前(いまも?)、川越へのもうひとつのルートが完成
池袋で見る国鉄表記の「川越」は、違和感ありあり・・・でしたが。
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「池袋」新宿への乗入は、翌年の3月からでした。
img822

いまでは、データイム各駅停車の日常的な行先でしょうか「武蔵浦和」。
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青22号スカイブルーでなく、黄緑6号ウグイスの「大宮」表示にも違和感(苦笑
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このあと「初乗り」で川越まで、さらに高麗川迄足を伸ばしました。

知られたことですが、埼京線(通勤新線)の当初の計画は
高崎線宮原駅へ接続するものでしたが、車両基地設置の関係で最終的には
川越線と接続する形に変わりました。いまも宮原駅付近には線路増設用地の名残が
見られます(見られた、になったのかな)が、湘南新宿ライン更に上野東京ラインが
走るいま、埼京線が宮原方面へ来ることはないのでしょう。




<京阪特急70周年> 鴨川べりを往く旧3000系 (1987年3月)

地下化を控えた、1987(昭和62)年3月
京阪本線・(京都)七条~三条間、地上時代の鴨川沿いを往く旧3000系特急列車。

「臨」標識板をつけた臨時特急<3515・現富山地鉄モハ10444>
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トップナンバー<3501・現富山地鉄モハ10032>
読み取れませんが、琵琶湖観光関連?の標識板をつけています。
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<3511>を先頭にした7連。
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橋の上より・・・三条行き7連。
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大阪・京橋から、ノンストップで走ってきた特急列車が七条駅に停車して
それから三条まで、車内より鴨川の流れ、街並みや東山の山々を眺めると
京都に来た、と実感できるものがあったと思います。国鉄(→JR)や阪急にはない
貴重な車窓でありました。

※粗い画像にてご容赦ください



489系<クハ489-200・600番台>「あさま」(1985年9月)

国鉄時代、貫通形クハ489(200・600番台)の特急「あさま」。

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60・3ダイヤ改正で復活した489系「あさま」。このあと61・11改正では
貫通形編成は金沢から長野へ移動し「あさま」専業となり
在来線特急廃止まで運用、最後は189系と同じ「あさま色」でした。

既に貫通扉は塞がれていたかと思います。
タイフォン上部の塗装剥がれ補修跡がやや痛々しい、クハ489-605。
車内に乗客がいないので、恐らく上野から東大宮への回送途上だったのでしょう。
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                                 大宮 1985(昭和60)年9月
  
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